« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月

2010年10月31日 (日)

第14回 WeiWeiさん IN 「Tears」

「マネージャーは見た! いつものWeiWeiさん」
第14回 WeiWeiさん IN 「Tears」

今回は、前回に続き、WeiWeiさんから聞いたお話をみなさんにお伝えしようと思います。
この話もライブのMCで何度か話しているので、聞いた事がある人もいるかも知れません。
(今回も長文です。お時間のある時にどうぞ!)

っと、その前に「閑話休題」

WeiWeiさんは先日プライベート旅行で北海道に行って来ました(本人のブログでご存知ですよね?!)
先日のライブの楽屋での事。
東京も急激に寒くなったので、自然と話題は「冬」、そして「スキー」の話になりました。
上海で生まれ育ったWeiWeiさんは、日本に来て一度だけスキー体験があるようですが、それ一回で懲りたようです。
とにかく、身体中の筋肉が悲鳴を上げて、「二度とスキーはやらない」と堅く誓ったようです(笑)。
周囲にいたみんなは、そんなWeiWeiさんの話に優しい微笑みを浮かべて聞いていたのですが・・・・。
そして、さらにWeiWeiさんが言いました。
WeiWeiさん「私はスキーより、あの『寝袋』みたいのが良いです」
周囲にいたみんな「は?!」
WeiWeiさん「ああ、『寝袋』じゃなくて、あの『揺り籠』みたいな奴が良いです。」
さすがに、鈍感な私でも分かりました。
私「ああ、『ソリ』のことですね?」

すると、WeiWeiさんは言ってしまいました!!

「ああ、『ソリ』って言うんですよね?!

アイム・ソーリー!!」


WeiWeiさんのライブで感動して、何度も鳥肌を立てた経験はありますが、WeiWeiさんと話していて、これほど
「寒!!!!!」
と思ったのは初めてで、本当に「鳥肌」が立ちました(笑)。
私が、思わず口に出して「寒!!!」と言うと、例によって「あはははは!!!」と大きな声で笑われて、そこにいた全員の体感温度は確実に氷点下になったのを置き去りにしたまま、その場は通り過ぎて行きました・・・・。

ーーーー
さて、本題に戻ります。

みなさんは一昨年発売されたアルバムのタイトルチューン『Tears』という曲は好きですか?
私は、大好きな一曲です。
WeiWeiさんにとっても、とても「思い入れ」のある一曲です。
と言うのも、WeiWeiさんが二胡を始めるきっかけとなった「思い出」と深く関係しているからです。

ご承知のように、WeiWeiさんは子供の頃から、ヴァイオリンを習っていました。
文化大革命で、西洋楽器である「ヴァイオリン」が禁じられている時に、部屋のカーテンを2重に閉めて、隠れてヴァイオリンの練習に励んだという話を初めて聞いたとき、とてもビックリしたと同時に、深く印象に残ったのを覚えています。

文化大革命の影響もあって、二胡という楽器は中国では最も「ポピュラー」な楽器で、二胡を弾く人が街中に溢れていて、そんな中でWeiWeiさんが練習していた楽器はヴァイオリン。
正直言って、当時のWeiWeiさんには「自分は他の人とは違う」という感覚があり、どこかに「二胡なんて!!」と思っている節があるようでした。
そんなある日、WeiWeiさんがいつものようにヴァイオリンの練習をしている時、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の第2楽章を聞き、ふと思ったそうです。
「このメロディは、どこか東洋的な感じがするから、二胡で弾いたらとても似合う気がする」

WeiWeiさんは、それまで二胡を弾いた事が無かったのですが、心のどこかで「簡単に弾ける」と思っていたそうです。

そこで、早速二胡を手に取り、そのメンデルスゾーンのメロディを弾いてみると、確かに「弾ける事は弾ける」けれど、ちっとも「上手く弾けない!」
その時になって初めて、「今までの二胡への認識」が間違っていた事に気付いたそうです。
弾けば弾くほど、二胡の持っている「奥の深さ」や「哀愁ある音色」・・・そういったものに気付き、それからはヴァイオリンと同時に二胡も必死になって練習を始めたようです。

まさかその時点では、その日から10年近く経ってから日本に渡り、二胡プレイヤーとして活躍するとは思ってもいなかったでしょう。

先日のライブでのMCで言っていました。
「次の曲は、私が二胡と出会うきっかけになったメロディをモチーフに作った『Tears』という曲です。
日本に来て、来年はもう20周年になります。
その間、たくさん泣きました。
もちろん、悲しくて、辛くて泣いた事もたくさんありますが、それ以上に感動して、嬉しくて泣いた事がたくさんあります。
日本に来て、二胡を弾いていて、本当に良かったと思っています」

ーーーー
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の第2楽章のメロディを聞いて、WeiWeiさんが「二胡で弾いてみよう」と思わなかったら、きっとWeiWeiさんの人生は大きく変わっていたのでしょうね。
そう思うと、『Tears』という楽曲が全然違って聞こえて来ます。


来年は来日20周年。
「やっとハタチになりました。お酒も飲めるようになりました」と笑ってMCをするWeiWeiさんですが、その歴史をこれからどんどん「紐解いて」行きたいと思っています。
来年の企画にご期待下さい!!

 
♪♪♪♪♪♪
 

(2010.10.31)

2010年10月24日 (日)

第13回 WeiWeiさん IN 「東長崎」

「マネージャーは見た! いつものWeiWeiさん」
第13回 WeiWeiさん IN 「東長崎」

今回は、WeiWeiさんから聞いたお話をみなさんにお伝えしようと思います。
ライブのMCで何度か話しているので、聞いた事がある人もいるかも知れません。
(今回も長文です。お時間のある時にどうぞ!)

先日、石川県金沢市での「ねんりんピック」というイベントでミニ・コンサートを実施して来ました。
生憎の雨で残念ながら野外特設ステージの演奏は出来ませんでしたが、急遽室内に変更しての演奏になりました。
でも、とても素晴らしいコンサートになりました。
ご参加頂いたみなさん、ありがとうございました。

その時に一緒に演奏したのが、いつものライブでお世話になっているギターの越田太郎丸さんと、上海万博でお世話になったキーボードの塩入俊哉さんでした。

その日は朝の8時過ぎからリハーサルで、WeiWeiさんと塩入さんと私は前日から飛行機で金沢入りしていたのですが、越田さんは前日東京で本番があり、深夜自分で車を運転し、金沢入りしたのが朝6時。
結局、越田さんはほとんど眠らずにリハーサル~本番という強行軍でした。

無事にライブも終了し、会場を後にしたのですが、私たち3人は飛行機、越田さんは当然車での帰京です。
ところが、我々3人の乗る飛行機の時間までなんと6時間も待ち時間が・・・。
それに、徹夜の強行軍の越田さんは当然のように、自分で運転して帰らなければなりません。
それではあまりに可哀想だし、心配だし、我々も6時間も飛行機待ちするくらいなら、全員越田さんの車で帰れば、運転を交替できるのでそっちの方が良いだろう、という事になりました。

WeiWeiさんを含め全員免許を持っていたので、金沢市内を越田さん、高速に乗ってから新潟県までを塩入さん、そしてその後東京までを私が運転して帰りました。
実はWeiWeiさんも、「私も運転しましょうか?」と言ってくれたのですが、WeiWeiさんに運転して頂くのは申し訳ないので(というより、この10年くらいハンドルを握っていないという、絵に描いたようなペーパー・ドライバーのWeiWeiさんに運転して頂くのは、それこそ「運を天に任す=運天」になってしまうので)、丁重にお断りしました(笑)。

金沢から東京までの途中休憩を含み8時間の車の旅は、いろんな話で盛り上がり、雨も降っていたので、確かに疲れましたが、楽しい旅でした。
高速道路を乗り継いで、関越自動車道の練馬で一般道に降りました。

その先、東長崎という池袋に近い場所を通った時、私がWeiWeiさんに言いました。
「WeiWeiさん、この辺、懐かしくないですか?!」
するとWeiWeiさんが言いました。
「東長崎ですよね。確かに懐かしいな~。」
私と越田さんは知っていたのですが、塩入さんが「何が懐かしいんですか?」と言ったので、WeiWeiさんが説明を始めました。
ーーー
上海から日本に来て、初めて住んだのが東長崎でした。
成田に到着して、成田から京成電車で日暮里に着いて、その後山手線~西武線と乗り継いで、成田まで迎えに来てくれた先輩が同行してくれたのですが、東長崎のアパートに着いたら、その先輩は帰ってしまったとの事でした。

約19年と半年前の5月3日。
うら若き少女のようなWeiWeiさんの、初日本の感想は「日本はなんて人が少ないんだろう!」だったそうです。
その頃は、GWというのを知らないWeiWeiさん。
確かに上海しか知らない当時のWeiWeiさんがそう思うのも仕方ないですよね。
いつもは決して人通りが少なくは無いと思うのですが、GW真っ最中の東長崎の夜は閑散としていたのでしょう。

日本語もほとんど喋れず、頼りにしていた先輩も帰ってしまい、人通りの少ない東長崎で一人になって、泣きそうなくらい寂しかったようです。
上海の空港を出る時には「期待と希望」に胸を膨らませ、上海から遠ざかる「距離」と比例するように「不安と寂しさ」が襲って来る。
私にも経験がありますが、初めて親元を離れ、一人暮らしをした時の最初の夜は、とても寂しい思いをしました。
でも、私は同じ日本国内だし、外に出れば普通に日本語が通じます。
私の感じた寂しさとは比べ物にならない感情だったと思います。

寂しさを紛らわす為と、上海で心配しているご両親に電話をする為に、WeiWeiさんが外に出た時、駅の側に「ピカピカ」とネオンが光っていて、人が多くいる場所を見つけました。
分かりますか?!
そうです。
パチンコ屋さんです。
WeiWeiさんは、そこが何なのか分からないまま、パチンコ屋さんの前まで歩いて行きました。
外から中を覗くと、多くの人が壁に向かって何かをしています。

当時の中国にはパチンコという遊戯に対する情報がまったく無かったようです。
その場所が何をする場所か分からないまま、明るいし騒がしい音が外にまで漏れて来て楽しそうだから、近寄ってみた、WeiWeiさん。
「仕事してるんだ!」と思ったそうです(笑)。
まあ、パチンコを仕事にしている人は確かにいるでしょうが、その発想が面白いですよね(笑)。

パチンコ屋さんの側にある公衆電話ボックスに入って、ご両親に電話をしました。
ご両親の声を聞いて、今にも泣き出したい気持ちを「グッ!」と我慢して、両親に心配をかけないように明るい声で、電話したそうです。

お時間のある方は、2009年5月3日のWeiWeiさんのブログを見て下さい。
来日して間もない頃のWeiWeiさんの写真が載っています。
あどけなさが残っていて、私の好きな写真です。

来日初日の東長崎の話を聞くより以前にその写真を見ていた私は、この話を聞いてとても「切ない」気持ちになってしまいました。
「いたいけな少女が寂しさを紛らわす為に、パチンコ屋さんの側に行き、電話ボックスの中で泣くのを我慢して両親に電話している」


越田さんの車の中は、何となく「センチメンタル」という言葉がぴったりするような雰囲気でした。

ーーー

この東長崎での思い出から、19年と半年。
来年は「WeiWeiさん来日20周年」です!

あどけない少女はずいぶん逞しくなりました(笑・失礼)

来年はそのアニバーサリーのイベントを企画しています。
この初来日の話だけでなく、WeiWeiさんと話していると、中国時代の話など、とても感心や感動、本当にいろいろな体験をしている事に驚かされます。
そんなWeiWeiさんの半生を振り返るようなイベントにしたいと思っています。
ご期待下さい!!

 
♪♪♪♪♪♪
 

(2010.10.24)

2010年10月17日 (日)

第12回 WeiWeiさん IN 「MeiMei Muu」

「マネージャーは見た! いつものWeiWeiさん」
第12回 WeiWeiさん IN 「MeiMei Muu」

先日の出来事です。

古くからのWeiWeiさんの知り合いで、ある地方でのコンサート関係の仕事をされている方が久しぶりに東京に出て来ているので、その方に「今のマネージャーを紹介する」という事になり、WeiWeiさんと渋谷で待ち合わせをしました。
先方の方との待ち合わせ時間の5分前、とっても「ベタ」に「ハチ公」前での待ち合わせでした。

待ち合わせ時間になってもまだ現れないWeiWeiさんにメールしました。
「今どこですか?」
すぐに返信がありました。
「ハチ公前にいます」

「???」

WeiWeiさんとの待ち合わせ時間の5分前に到着していた私は、周囲を「きょろきょろ」しましたが、WeiWeiさんを発見出来ません。

電話をしました。
WeiWeiさんはすぐに電話に出ました。

「どこにいます?」
「ハチ公前です。」

更に「きょろきょろ」周囲を探す私。

見つけられません。


必死に「きょろきょろ」していた私の右肩を、一人の女性が「とんとん」と叩きました。

そこにいたのは、ショートヘアの黒髪に、ところどころに茶色いメッシュが入っていて、濃いブルー縁の眼鏡をかけた妙齢の女性・・・。
全体の雰囲気としては、商社で働くキャリアウーマン風。

「???」
という私にその女性が言いました。

「こんにちは。MeiMei Muuです(笑)。」
その女性は、そう言って「にっこり」と微笑んだのでした。

ビックリです。
そこにいたのは、見事に「変身」したWeiWeiさんでした。

「MeiMei Muu」と言われても、それがWeiWeiさんだという事に気付くまで、たっぷり3秒はかかりました。

私は、「鳩が豆鉄砲」というのを、そのまんま体現していたと思います(笑)。


「もう我慢出来ない!」
という感じで、MeiMeiさんが大きな声で笑い出しました!

あまりに驚いて、しかも間抜けな私の最初の発言。
「髪の毛、、、、切ったんですか?!」

MeiMeiさんは、先ほどよりも大きな声で「はっっっははっはは~~~!」と、ハチ公前で待ち合わせしている人全員が振り返るほどの大きさで笑いました。
そして、一言!

「ヤッタ!!」


やっと分かった私は、悔し紛れに言いました。
「なんだ、ヅラですか・・・」


後で聞いたのですが、ちょっとした気分転換に数年前に買ったカツラ(フルウィグ?!)をしてみたら、「楽しい気分」になったので、久しぶりに会う知り合いを驚かそうと思ったとの事でした。
っと、その前に待ち合わせしているマネージャーの反応を見てみようと「いたずら心」に火がついたようです。

それが、見事なまでに騙されてしまった私を見て、「楽しい気分」が「楽しくて仕方ない気分」に格上げされたようでした。

酷いと思いませんか?
待ち合わせ時間に来ない「アーティスト」を一生懸命「きょろきょろ」探している私を、ずっと見ていたそうです。
何度か、自分を見ているのに、ちっとも気付かない私を見て、楽しんでいたそうです。


いつの日か「リベンジ」を決心した私でした(笑)が、その後、本来の目的だった「古くからの知り合い」の方は、慧眼の持ち主で、MeiMeiさんに会った途端に、ちっとも驚いた様子は無く、「カツラつけてイメージチェンジしようとしてるの?!」といきなり言われて、MeiMei=WeiWeiさんは少しガッカリしていました。
まあ、考えてみればその方はWeiWeiさんに会うのは久しぶりなので、その変化に驚かないのも、それほど不思議な事ではないですよね。

その方が驚かない事にガッカリしているWeiWeiさんを見て、少しだけ可哀想に思うと同時に、溜飲を下げた私でした(笑)。

ーーー
長くなりましたが、これで「MeiMei Muu」さんとの出会いのご報告を終了します。
次回の「マネージャーは見た」もお楽しみに。
 
♪♪♪♪♪♪
 

(2010.10.17)

2010年10月11日 (月)

第11回 WeiWeiさん IN 「万博-3」

「マネージャーは見た! いつものWeiWeiさん」
第11回 WeiWeiさん IN 「万博-3」

前回の続きです。

前回は、今回の上海のもう一つの目的=黄浦江でのクルージングの事をご報告しました。
さて、いよいよ万博当日のご報告です。

当日、ツアーの方、現地参加の方、スタッフ等全員が午前11時に万博の第4ゲートに集合しました。
事前に聞いていたよりは、入場ゲートのチェックは厳しくありませんでした。
なにしろ、「万博に入場するには、飛行機に乗るよりも厳しいチェック」と聞いていたので、二胡はもちろん、コンサートに使用する機材から化粧品に至るまで「事前申請」が無いと入場出来ないと言われていましたから。
もちろん、煙草のライターなど問題外との事でした(実際入場してみるとみんな普通にライターで火をつけて煙草を吸っていましたが・笑)。

とにかく暑い一日でした。
建物の中はもちろん涼しいのですが、会場は何しろ広いので、ちょっと何かするにも相当な距離を歩く必要があり、しかも暑かったので体力の消耗が激しかったです。

譜面台が無かったり、用意していたキーボードが演奏出来ないほどでは無いけれど少し壊れていたり、なにしろ日本語は通じないので、リハーサルの進行に多少手間取ったりの問題はありましたが、それほどの困難も無く順調に準備は進行して行きました。

しかし、間もなく王先生と一緒に演奏するリハーサルに入る少し前の事でした。
「王先生用の二胡が無い!」
という事に気付いたのです。

前述のように、とにかく「持ち込み機材」に関してのチェックが厳しいので、二胡も事前申請していました。
王先生の入場がスムーズにいくように、王先生ご自身の二胡ではなく、WeiWeiさんのお父様の二胡を王先生に弾いて頂く予定だったのですが、今回の一件で、急遽日本人がステージに上がる事が出来なくなり、WeiWeiさん用の二胡以外持ち込まなかったのです。

焦りました。

そこで、今回、ツアーから現地とのやり取り等で大変お世話になった、心弦二胡教室の講師でもあり、中国語の話せる横関さんにお願いして、横関さんの二胡をホテルまで取りに戻ってもらう事にしました。

結局、横関さんが頑張ってくれたおかげで、なんとか王先生とのリハーサルもなんとか無事に出来ましたが、なにしろ広い万博会場。
コンサートの会場から入退場ゲートまで早足で歩いて10分以上かかります。
横関さんは大慌てで「コンサート会場~ゲート~タクシーでホテル~二胡を持って~タクシーで万博会場~ゲートから走ってコンサート会場」という移動をこなしたのですが、何しろ暑かったので、戻って来た時には、申し訳なく思うと同時に思わず笑ってしまうほどの大汗でした。
しかも、帰りのタクシーで自分のケータイ電話を忘れてしまうと言う「おまけ」までついてしまいました。(ちなみに、ケータイ電話は見つかりませんでした)
本当に申し訳なく思っています。
この場を借りて横関さんに再度、お詫びとお礼を申し上げます。


コンサートの本番はとても素晴らしいものになりました。
日本からの参加者50人との合同演奏があれば、更に素晴らしかったと思うと残念でなりませんが、中国の方々からも大きな拍手をもらう事が出来ました。
MCも全部中国語だったので、全ては分かりませんが、会場から笑い声も出て、中国の方に受けていました。(後日譚ですが、「日本で活動してる」と言えないので「海外で活動してる」と言っていたそうです)
特に、『阿美族舞曲』や『賽馬』といった中国の伝統音楽曲だけでなく、『Spain』や『チャルダッシュ』といった名曲、そしてなにより『新世界』『衡山ネオン』『空~Kuu』『天使の子守唄』等のWeiWeiさんのオリジナル曲で大きな拍手をもらった時(私のそばで見ていた若い中国人女性が、楽しそうに見ていて)、とても嬉しく思いました。


終演後、日本語の話せる万博関係者から「素晴らしい!!」と握手を求められました。
しかも「中国の公安関係者のみんなも素晴らしいと言っていましたよ」と言われました。
実は、一般のお客さんに混じって、多くの「公安関係者」の方も「不測の事態」に備えて「私服で」コンサートを見ていたようでした。

余談ですが、唯一ステージにあがった日本人=ピアニストの塩入さんを、WeiWeiさんは「ピアニストのイェンイェン(塩塩)さんです」と紹介しました(なにしろ、「日本人がステージにあがってはいけない」ということが今回の条件だったのですから)。
後日塩入さんから聞いたのですが、終演後、日本から参加したある人から、変な日本語で「アナタ、ピアノ、スバラシイ!」と言われて、普通に「ありがとうございます」と日本語で答えたら「え?! 日本語しゃべれるんですか?!」と言われたと笑っていました。


終演後日本から参加した皆さんと会場で乾杯をし、記念撮影をして会場を後にしました。
いろいろとありましたが、とにかく「アーティストWeiWei Wuu」が、その歴史に残る貴重な一歩だったと思っています。

万博会場を後にする時、ライトアップされとても綺麗な多くのパビリオンを見ながら、悔しさと達成感が絡み合って、複雑な気持ちで帰路につきました。

ーーー
長くなりましたが、これで「上海万博」のご報告を終了します。
次回の「マネージャーは見た」をお楽しみに。

 
♪♪♪♪♪♪
 

(2010.10.11)

2010年10月 2日 (土)

第10回 WeiWeiさん IN 「万博-2」

「マネージャーは見た! いつものWeiWeiさん」
第10回 WeiWeiさん IN 「万博-2」

前回の続きです。

その前に、WeiWeiさんの変な日本語シリーズを二つ(笑)。
ある日、ある和食屋さんで昼食を一緒にした時の事です。
お昼の定食用のメニューを見ていたWeiWeiさんが言いました。
「この荷造り、っていうのは何ですか?」
「???」
当然、分かりません。
お昼の定食に「荷造り」はあまりに似合いませんから。
そこで、私がメニューを見ると、そこには
「刺身のお造り定食」!!

もう一つ。
先日のオーチャードでの「live image Nouveau」コンサートの日、会場入りする為に車で向かっている時の事でした。
信号待ちで、停まっているとWeiWeiさんが、横断歩道を渡る白髪混じりの中年のオジさんを見て言いました。
「あの人、YMCOの細井さんに似てますね」
「????」
分かりません。
「誰ですか?」
と聞く私。
「ほら、坂本教授とかと一緒にやっていた・・・」
分かりました?!
「それは、YMOの細野晴臣!」

だんだん「変な日本語」というのとは違って来てしまいましたね(笑)。


さて、上海の続きです。
前回は、危うく万博コンサートの中止の危機を、条件付きですが、最悪の事態だけは免れた、という事をご報告しました。
そして・・・

ーーー

その日のうちに、日本から参加して頂いた皆さん、特別参加の王永徳先生、また現地のスタッフ等々に連絡し、事情の説明と対策を練りました。
やはり、日本から万博のステージに上がる事を楽しみに参加して頂いた皆さんにお伝えする時が一番辛かったです。

しかし、その報告を聞いた皆さんは、一様に寂しそうなお顔をされていましたが、事情が事情なだけに皆さんには、ご納得して頂けました。


翌日は、今回の上海のもう一つの目的=黄浦江でのクルージングでした。
2008年末の『Tears』のコンサートツアーの際、同行してくれた皆さんとの約束=いつの日か黄浦江でのクルージングをして、川の風を感じながら『上海セレナーデ』を演奏しましょう、という約束がいよいよ実現しました。

WeiWeiさんのブログでお読みだと思いますが、本当に楽しいクルージングになりました。
WeiWeiさんのご両親による演奏&歌まで登場し、和気あいあいとした雰囲気の中、翌日実現出来なくなってしまった万博でのコンサートの分まで、皆さんで演奏を楽しんでいました。
なにしろ、2時間のクルージングの間、『上海セレナーデ』はもちろん(私の記憶では3回演奏)、『賽馬』に至っては4回もみんなで演奏し、大いに盛り上がりました。

その余韻に浸りながら、皆さんと銀河賓館ホテルまでバスで一緒に移動し、その後遅れて到着した、今回のピアニストの塩入さんと一緒に遅めの夕食をとる為に宿泊先のホテルに向かうタクシーの中で、また中国側の万博担当者から電話がかかって来ました。

時間は夜の10時過ぎ!!


もう、冷や汗ものです。
かかって来た瞬間、私が思ったのは「やはり中止にして下さい」と言われるのではないか!という事でした。

しかし、それは杞憂に終わりました。
単純な業務連絡で、万博コンサートの入り時間に関する、単純な業務連絡でした。
そばで私の電話を聞いていたWeiWeiさんも、とても心配そうな顔をしていましたが、私が説明すると、心底安心した顔になっていました。

その後、塩入さんと翌日の成功を祈って乾杯をし、その日は翌日に備えて早めに眠ったのでした。

後日譚ですが、WeiWeiさんから聞きました。

「その日は、もう万博からの電話がないよう、願いながら、眠りに入りました。
実際、夢の中では万博側からまた電話がかかって来て、良く覚えていないけれど、すごく辛かった夢を見た」

(更に続きます)

 
♪♪♪♪♪♪
 

(2010.10.2)

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30